このブログ記事は「パブロ・ピカソ」についての解説記事です。
芸術の世界で天才と呼ばれるピカソ。彼は芸術の世界で類稀なる功績を残したのですが、生涯残した作品総数や名言、数々の武勇伝も驚くべきものでした。
「ピカソの真実」は僕たちにとって多くの学びを与えてくれるかと。ぜひ最後までご覧くださいね。
もくじ
ピカソが残した作品総数は?
数多くの名作を世に送り出し「天才」と呼ばれているピカソ。
そんなピカソですが彼が残した生涯の作品数、いったいいくつかあなたは知っていますか?
ちょっと推理してみてください。ちなみにピカソは91歳まで生きました。
1000点…?5000点….?10000点…..?
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正解は…
なんと14万7800点!
11歳から作品を作り始めたとしても、、、
1日あたりなんと5作品は作っている計算になります!
1日5作品ですよ!
それを亡くなるなる91歳まで毎日こなしていたという…1日も休まずに…
天才というと、才能や閃きがあってパッと作品を作り上げるイメージがありますが実は、とてつもなく量をこなしていたんですね、、、
天才の作り方とその真実
芸術の世界で天才と呼ばれるピカソ。しかしながらそんな彼でも圧倒的な行動量をこなし、大量のアウトプットで作品を生み出しそしてその中から数々の名作が生まれたわけです。
14万7800点の作品を作りそれでも世に広まった作品はほんの数点……
しかしながら、それによって後世に残る作品を一つでも世に出すことができれば、その行動は十分すぎるほど元を取れていると言えるのでしょうかね。
千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす
これは有名な剣豪「宮本武蔵」が残した名言です。
量が質を凌駕することを例えた言葉ですが芸術、武道の世界でも共通する事なのでしょうね。
25歳のオールドルーキー
1980年代・1990年代に活躍した落合博満というプロ野球選手がいます。
落合選手は25歳というプロ野球選手の中では比較的遅くプロの世界に入りました。それにも関わらずプロ3年目で首位打者を獲得し、翌年には28歳という戦後最年少の若さで3冠王を獲得します。
通算3度の三冠王を獲得し、数々の打撃タイトルを獲得しプロ野球選手の間でも「天才」と呼ばれ、多くの選手に慕われていました。
そんな落合選手が引退後のインタビューで語った言葉があります。
天才落合の真実
「なんだかんだ言ってもこの世界。一番バットを振ったやつがトップに立つよ」
落合選手は天才と呼ばれていましたが、実は誰よりも練習(行動)をしていたんですね。そんな彼を慕ってイチロー選手や松井秀喜選手といった名選手が生まれました。
芸術の世界でもビジネスの世界でもスポーツの世界でも、成果を出すのは実はシンプルな事だったんですよね。
彼女9人の武勇伝
ちなみにピカソは数々の武勇伝があり、その中の1つに「彼女が9人いた」というものがあります。
実際、死ぬまでにできた愛人の数はハッキリわかっているだけでも7人だそうですが、女性関係にとても奔放だったらしく2度の結婚をしており、妻や愛人との間に4人の子どもを授かっていたそうですね。
ピカソと女性に関する逸話は書ききれないほどあるのですが、中でも6人目の相手「マリー」を口説いたエピソードは強烈です。
デパートにいたマリーに一目ぼれしたピカソは、初対面にも関わらず腕を掴み、「君の絵を描きたい。私はピカソだ」と告白したそうです。非常に自信家だったことが女性には魅力的に映ったのかもしれません。
天才ピカソの作り方をYouTubeで復習
なお、今回の内容を動画にまとめました。
5分程度の動画ですので、ぜひ復習も兼ねてご覧くださいね。
まとめ
以上が「天才ピカソ」についての解説です。
おさらいになりますが、大量行動が結果を生むというのはこれは芸術の世界でもスポーツの世界でもはたまたビジネスの世界でも同じです。
今日の記事が少しでもあなたの人生のお役に立てれば幸いです。
それでは本日も最後までお読み頂きありがとうございました!